Cold case 0
壱岐津礼
天を衝く摩天楼より少しばかり離れて並び立つ、比べればささやかですらある、けれども充分に巨大な墓標だ、それらは。
かつては壁面に並んだ幾百の窓に生の営みの灯が点っていた。生きた影が中でしきりに動いていた。時に眠りを抱いていた、安らかであったか否かは別として。都心に通う人たちの生活の拠点として建造されたのだ、これらは。
遠い日の夢と欲望が破れて十余年以上にもなる。今や日没ともなれば一帯は闇に沈み、周辺を取り巻く街灯の光も中央には届きはしない。古びた管理者を記す看板と、褪せた立入禁止の文字がなんとか読み取れる程度。出入り口に申し訳程度にチェーンが張られているほか、伸び放題に放置された生け垣以外に柵も無く、ホームレスも入りたい放題な環境にもかかわらず居着く者は稀だという。
蒸し暑いこの夜、入り込んだのはホームレスではなかった。
四人だ。十代半ばから二十代前半と見える若い男女が二人ずつ。年相応の思慮浅さが、一挙手一投足にも見てとれる。夜更けに何の用といって深刻な謀など無さそうな明るい会話に挙動、興味本位の見物か。それぞれの手にLEDのハンドライトを持ち、振り回し、見捨てられた建物群を照らし出していた。
ちらちらと照らし出される若い顔の下半分は黒や極彩色のマスクで覆われている。少し前に流行った感染症対策の名残として一部層にファッションとして定着したものだ。立体縫製された布地に毒々しい蟲が這ったり、煽情的に舌舐めずりした赤いリップだの、牙を剥き出した裂けた口だの、肉色の縫い目もあからさまな傷痕などがプリントされている。
「ここだよここ」裂けた口が壁面に縦に光を滑らせた。
「最初の一人がこの屋上から飛び降りてここに落ちたんだ」低くひそめつつも享楽の響きは隠せない。連れたちもそれぞれにキャッとかウワッなどとポーズだけは怯んでみせながらも愉しそうだ。一人を除いて。過去の不幸を愉しんでいるのだ。一人を除いて。
「見てたやつはさ」とある窓にライトを当てて、「あの部屋に居てさ、窓に影が走ったんでハッと顔向けたら落ちてくやつと目が合ったって」ゾッとするよなぁ、とゾッともしていない弾んだ声で言った。
「ちょっとぉ」極彩色の布地に赤いリップのマスクが割り込む。気の強そうな女の声だ。「ガセ言わないでよ、なんでそんなに見てきたみたいに詳しいのよ」
「叔父貴の知り合いだったんだよ、そいつ」
「はいはい。知り合いの
かつては壁面に並んだ幾百の窓に生の営みの灯が点っていた。生きた影が中でしきりに動いていた。時に眠りを抱いていた、安らかであったか否かは別として。都心に通う人たちの生活の拠点として建造されたのだ、これらは。
遠い日の夢と欲望が破れて十余年以上にもなる。今や日没ともなれば一帯は闇に沈み、周辺を取り巻く街灯の光も中央には届きはしない。古びた管理者を記す看板と、褪せた立入禁止の文字がなんとか読み取れる程度。出入り口に申し訳程度にチェーンが張られているほか、伸び放題に放置された生け垣以外に柵も無く、ホームレスも入りたい放題な環境にもかかわらず居着く者は稀だという。
蒸し暑いこの夜、入り込んだのはホームレスではなかった。
四人だ。十代半ばから二十代前半と見える若い男女が二人ずつ。年相応の思慮浅さが、一挙手一投足にも見てとれる。夜更けに何の用といって深刻な謀など無さそうな明るい会話に挙動、興味本位の見物か。それぞれの手にLEDのハンドライトを持ち、振り回し、見捨てられた建物群を照らし出していた。
ちらちらと照らし出される若い顔の下半分は黒や極彩色のマスクで覆われている。少し前に流行った感染症対策の名残として一部層にファッションとして定着したものだ。立体縫製された布地に毒々しい蟲が這ったり、煽情的に舌舐めずりした赤いリップだの、牙を剥き出した裂けた口だの、肉色の縫い目もあからさまな傷痕などがプリントされている。
「ここだよここ」裂けた口が壁面に縦に光を滑らせた。
「最初の一人がこの屋上から飛び降りてここに落ちたんだ」低くひそめつつも享楽の響きは隠せない。連れたちもそれぞれにキャッとかウワッなどとポーズだけは怯んでみせながらも愉しそうだ。一人を除いて。過去の不幸を愉しんでいるのだ。一人を除いて。
「見てたやつはさ」とある窓にライトを当てて、「あの部屋に居てさ、窓に影が走ったんでハッと顔向けたら落ちてくやつと目が合ったって」ゾッとするよなぁ、とゾッともしていない弾んだ声で言った。
「ちょっとぉ」極彩色の布地に赤いリップのマスクが割り込む。気の強そうな女の声だ。「ガセ言わないでよ、なんでそんなに見てきたみたいに詳しいのよ」
「叔父貴の知り合いだったんだよ、そいつ」
「はいはい。知り合いの
(1000文字)
CN
壱岐津礼
主に、大惨事が起きたり人が沢山死ぬ奇怪な話を書く小説家です
試し読みはここまで