プロローグ:そうして私はクレカ屋さんの中の人になった
qeeree.
時に、西暦二〇十二年。
勤めていたベンチャー企業から一方的な会社都合退職をさせられた後、新しい仕事がなかなか決まらないまま半年以上が経ち、私は困っていた。実家暮らしだったのと失業手当がすぐに出たのとで生活に困るほどの事態にはならずに済んだが、当時は東日本大震災から一年と少し後であり、私の住まいは東京の西の端で、希望の勤務先は都内。東北から関東あたりのエリア全体が、そしてそこにある数多の会社が先行き不透明だというのに、求人などホイホイ出せるわけがない。少なくとも転職の世界では、まだまだそういう時期だったのだ。
もちろん、数少ない求人の中から良さそうなものを探しては応募し断られ、また探しては応募し断られ、を毎日毎日繰り返してはいた。が、何の進捗もないまま半年以上が経ち、さすがに少々滅入ってもいた。面接にすら進めず断られ続けることにではなく、定職が無い状況が続いていることに。
そんなある日、とある会社から連絡があった。面接に来てほしい、と。
久々に訪れたチャンスに、それはそれは気合いを入れて挑んだものの、いざ対面した面接官のおじさまは終始飄々としており、手ごたえをことわざで言えば「暖簾に腕押し」に限りなく近かった。実はもう他の人で決まっていて、でも先に私も呼んでしまっていたので仕方なく対応したのかな、クレカの会社らしいけど、たしかに私はその業界は未経験だし、個人的にもクレカは持ってはいるけどチケットの先行予約くらいでしか使わないからよくわかっていないし、経験者や有識者が応募してきたとすればそちらのほうがいいんだろうな……と察してしまうくらいには空振りした感覚があった。
気分を変えたかったのと、ちょうどお昼時だったのとで、帰りに途中下車して当時話題だったカフェに行きランチを食べ、そこから再び電車に乗り自宅方面へ乗り換えようとしたその時、着信があった。
「採用になりました。いつから来れますか?」
面接官のおじさまだった。
忘れもしない、二〇十二年十二月二日のこと。
そうして私は、とあるクレジットカードの会社で働くことになったのだ。
勤めていたベンチャー企業から一方的な会社都合退職をさせられた後、新しい仕事がなかなか決まらないまま半年以上が経ち、私は困っていた。実家暮らしだったのと失業手当がすぐに出たのとで生活に困るほどの事態にはならずに済んだが、当時は東日本大震災から一年と少し後であり、私の住まいは東京の西の端で、希望の勤務先は都内。東北から関東あたりのエリア全体が、そしてそこにある数多の会社が先行き不透明だというのに、求人などホイホイ出せるわけがない。少なくとも転職の世界では、まだまだそういう時期だったのだ。
もちろん、数少ない求人の中から良さそうなものを探しては応募し断られ、また探しては応募し断られ、を毎日毎日繰り返してはいた。が、何の進捗もないまま半年以上が経ち、さすがに少々滅入ってもいた。面接にすら進めず断られ続けることにではなく、定職が無い状況が続いていることに。
そんなある日、とある会社から連絡があった。面接に来てほしい、と。
久々に訪れたチャンスに、それはそれは気合いを入れて挑んだものの、いざ対面した面接官のおじさまは終始飄々としており、手ごたえをことわざで言えば「暖簾に腕押し」に限りなく近かった。実はもう他の人で決まっていて、でも先に私も呼んでしまっていたので仕方なく対応したのかな、クレカの会社らしいけど、たしかに私はその業界は未経験だし、個人的にもクレカは持ってはいるけどチケットの先行予約くらいでしか使わないからよくわかっていないし、経験者や有識者が応募してきたとすればそちらのほうがいいんだろうな……と察してしまうくらいには空振りした感覚があった。
気分を変えたかったのと、ちょうどお昼時だったのとで、帰りに途中下車して当時話題だったカフェに行きランチを食べ、そこから再び電車に乗り自宅方面へ乗り換えようとしたその時、着信があった。
「採用になりました。いつから来れますか?」
面接官のおじさまだった。
忘れもしない、二〇十二年十二月二日のこと。
そうして私は、とあるクレジットカードの会社で働くことになったのだ。
qeeree.
(866文字)
エッセイ 実話 お仕事
CN
qeeree.
qeeree.(きーりー)
文筆家+α
https://www.qeeree.com/
文筆家+α
https://www.qeeree.com/
試し読みはここまで